■ 『求真』  各号目次


 

■第23号■ 2017年

研究論文

原島 正  [提題]「死の哲学」再考―田辺哲学に学ぶ―

川島 烗三 学と生の交差点

松島 恒熙 ハイデガーにおける「日常性Alltäglichkeit」概念の再考―上田閑照の思想を手引きに―


 

■第22号■ 2016年

研究論文

樋口 達郎  言霊の在り処―言霊と和歌との関係性をめぐって―

河合 一樹  『称呼弁正』「姓尸氏族第四」の問題空間

牧野 静   賢治童話における本生譚

季平 圭太郎 心の理論説批判とメルロ=ポンティ

樋口 達郎・河合 一樹・宇賀神 秀一 本居宣長『玉勝間』全訳注(一)


 

■第21号■ 2015年

研究論文
小川 祐輔  デイヴィットソンの反懐疑的な議論とはどのようなものか

今泉 早織  「自覚」と「不快」―埴谷雄高の創作における西田幾多郎の影響―

河合 一樹  不朽の音―『漢字三音考』における徂徠派批判―
樋口 達郎  パーソン論の構造とその問題点―M.トゥーリの"Abortion and Infanticide"を中心に―

牧野 静   後藤健二氏と湯川遙菜氏によせて


 

■第20号■ 2014年

研究論文
高木 哲也  犠牲と責任―「原発責任」再考―

樋口 達郎  継承と超克―賀茂真淵の老子受容を巡って―

牧野 静   関東大震災と『銀河鉄道の夜』
小川 祐輔/季平 圭太郎 道徳性質はなにかに還元できるか―ムーアの未決問題論法を軸にして―


 

■第19号■ 2012年

研究論文
藤田 正勝  田辺元の生涯と思想―田辺元先生没後50年を記念して―

川井 博義  倫理と弁証法―田辺元と和辻哲郎の思索をめぐって―

蓮沼 直應  鈴木大拙の人間観―ことばと行為をめぐって―
園  辰也  『善の研究』における純粋経験の両義性について


 

■第18号■ 2011年

研究論文
福谷 茂   田邊元とカント―絶対弁証法から「種の論理」への論理―

高木 哲也  現代の超克―「原発責任」への一考察―
蓮沼 直應  禅における利他行の基礎づけ―鈴木大拙の大智と大悲―


 

■第17号■ 2010年

研究論文
高木 哲也  戦争をしてはいけない―渡辺清と吉田満から学ぶこと―
沼澤 元   田辺の批判に対する西田の応答
廖  欽彬  田辺元の国家論


 

■第16号■ 2009年

研究論文
井上 克人  Deus Quatenus の哲学―スピノザ解釈をめぐる石沢要先生と田辺との接点―
高木 哲也  昭和天皇と戦争責任
保呂 篤彦  カントにおける人類の悪としての「根本悪」
杉本 耕一  戦時期京都学派における宗教哲学と時局的発言―西谷啓治を中心に―
城阪 真治  「種の論理」における自覚の構造

文献目録
日高 明(編) 田辺元関係研究論文目録 一九九一~二〇〇八(二)


 

■第15号■ 2008年

講 演
田邊 元   懺悔道―Metanoetik―

研究論文
千葉 建   他者の実在性の承認を求めて―田辺元『カントの目的論』に関する一試論―
杉本 耕一  田辺元の道元解釈について―京都学派の禅哲学の再考に向けて―
馬場 智理  死と再生の論理―田辺哲学におけるキルケゴール思想との出会い―
廖  欽彬  田辺元の「種の論理」とその挫折
高木 哲也  私たちと戦争責任

書 評
川井 博義  生ける現実の行―伊藤益『愛と死の哲学―田辺元―』を読む―


文献目録
日高 明(編) 田辺元関係研究論文目録 一九九一~二〇〇八(一)


 

■第14号■ 2007年

伊藤 益   変容される過去―大島哲学と田辺哲学―

廖  欽彬  キリスト教と日本仏教―絶対宗教をめざして―

吉田 真哉  実存哲学の限界―田辺とヤスパースの対話をめぐって―

相田 麟三郎 ゲーテ・「ファウスト悲劇第2部 第5幕」の鑑賞(1)

川島 烗三  田辺哲学研究「空谷の跫音」(真理は常にはじめはマイナーである)

       ―田辺哲学に関する最近の二著について―


 

■第13号■ 2006年

浅見 洋   死の自覚をめぐって―ハイデッガー・西田・田辺―

川端 伸典  内村鑑三と仏教の近代化

相田 麟三郎 ゲーテ・「ファウスト悲劇第2部 第4幕」の鑑賞

川島 烗三  田辺哲学研究「辻村公一氏による〈田辺哲学〉理解」

       ―筑摩書房「現代日本思想体系」23『田辺元』の解説―


 

■第12号■ 2005年

高田 信良  〈グローバル時代の宗教観対話〉―仏教における「諸宗教の教学―親鸞のまねび」―
竹花 洋祐  「種の論理」の生成をめぐって―「永遠の今」と「種」的媒介性の問題を中心に―
守津 隆   西田幾多郎のヘーゲル批判について

相田 麟三郎 ゲーテ・ファウスト悲劇第2部「第三幕ヘレナ劇」の鑑賞
川島 烗三  田辺哲学研究 第8章 晩年の田辺哲学―「哲学と詩と宗教」―


 

■第11号■ 2004年

ヤン・ヴァン・ブラフト 仏教とキリスト教と田辺元先生
塚本 勝弘  「スペイン・サンチャ巡礼路」ひとり歩る記

田中 茂   道元禅師の生涯

相田 麟三郎 ゲーテ・ファウスト悲劇第2部「広大な広間」の鑑賞

川島 烗三  田辺哲学研究 第7章 後期の田辺哲学(下)―新歴史主義における数理の弁証法的展開―


 

■第10号■ 2003年

井上 克人  田辺哲学と道元禅―特に『正法眼蔵の哲学私観』をめぐって
川端 伸典  内村鑑三―前期と後期をつなぐもの―

塚本 勝弘  香港の現状と市民の意識

杜  虫然  虫然の失言一言

相田 麟三郎 ゲーテ・ファウスト悲劇第一部「夜」の鑑賞

川島 烗三  田辺哲学研究 第6章 後期の田辺哲学(上)―学問体系の入口としての『哲学入門』と新歴史主義―


 

■第9号■ 2002年

小田 淑子  イスラームにおける個人と共同体
宮野 美子  日本庭園の杉苔とギリシア彫刻の肌―和辻『風土』における「芸術の風土的性格」と「うち」の倫理―

杉本 耕一  田辺元の「種の論理」―近代日本思想史の中での考察―

川島 烗三  田辺哲学研究 第5章 中期の田辺哲学(下)―「種の論理」の究極としての「懺悔道」と戦後の方向―


 

■第8号■ 2001年

佐々木 亮  田辺とハイデッガー―「存在の比論」を巡って―
川端 伸典  内村鑑三の「世界観」―『二つのJ』をめぐって―

川島 烗三  田辺哲学研究 第4章 中期の田辺哲学(中)―「種の論理」そのものについて―


 

■第7号■ 2000年

北野 裕通  大地・身体・自覚(ニーチェ『ツァラトゥストラ』の場合)
水野 友晴  大西祝の「批評主義」

浜崎 雅孝  西田哲学と終末論

川島 烗三  田辺哲学研究 第3章 中期の田辺哲学(上)

       (「種の論理」の生まれる歴史的・科学的・社会的・文化的状況)


 

■第6号■ 1999年

気多 雅子  布施をめぐって
川島 烗三  これからの時代を生き抜く哲学を目指して

川島 烗三  田辺哲学研究 第2章 初中期の田辺哲学―「種の論理」への助走―


 

■第5号■ 1998年

細谷 昌志  最後の田辺哲学―絶筆『マラルメ覚書』について―

芹沢 木黙  カムイ(カミ)とアニミズムについて

華  啄   無題
川島 烗三  『徳の戦い』序文

川島 烗三  田辺哲学研究 第1章 初期の田辺哲学―自然科学的形而上学批判―


 

■第4号■ 1997年

藤田 正勝  言葉とものの見方

笠井 貞   龍樹とアンセルムスの真理論―比較哲学的研究―

高橋 治男  心豊かに生きるために―良寛の生き方を巡って―
川島 烗三  啐啄の機―石沢先生の禅体験―第6章 普遍者への愛

・田辺元が群馬に遺したメッセージ


 

■第3号■ 1996年

山下 秀智  言葉と自覚

石沢 要   田辺山荘について

川島 烗三  啐啄の機―石沢先生の禅体験―第5章 ロゴスの道


 

■第2号■ 1995年

川村(花岡)永子 田辺哲学と有機体の哲学―場所の論理を介して―

斎藤 知正  田辺文庫と山荘の意義について

高橋 治男  純粋経験の哲学

川島 烗三  啐啄の機―石沢先生の禅体験―第4章 いのちの火花


 

■第1号■ 1994年

長谷 正當  田辺哲学とE・レヴィナスの哲学―哲学の立脚点としての存在論と倫理について―

高橋 治男  良寛と親鸞・その行き方

川島 烗三  啐啄の機―石沢先生の禅体験―第3章 虚無の諸相

相田 麟三郎 北軽井沢は変わらずに



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